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アーチェリー五輪日本代表対談

プロフィール

お二人は直接の師弟関係はないようですが、お互いどのような印象をお持ちですか?

  • 同じ兵庫県出身なので、昔からよく知っています。実力があるだけでなく周りにも気を遣える、とても良い子です。

  • 道永監督はとても有名な選手だったので、自分が高校生の時から存じ上げていました。当時はまさか同志社で後輩になるとは思っていませんでした。

同志社に進学された理由を教えてください。

  • 私は中学・高校までは女子校に通っていて。ずっと女子校だと社会に出た時大変だろうから、共学に行ってほしいと両親に言われていました。それと1学年上の先輩で同志社に進学された方が2人いらっしゃって、大学の話を聞いて魅力的に感じ、受験を決めました。
  • 私は両親もアーチェリーをしていて、小さい頃から試合会場にはよく足を運んでいました。その時に見た同志社高校や同志社大学の選手がとても上手で。なので同志社には上手い人がいるという憧れの気持ちは、小学生の頃から持っていました。

アーチェリーに本格的に取り組もうと思ったのはいつ頃ですか?

  • 始めた時から上手に射ちたいとは思っていましたが、試合で勝ちたいとはそこまで思っていませんでした。きっかけは、中学生の時に先輩の高校生が世界選手権に出場されたことです。身近な人の活躍を見て、「世界」というものをぼんやりと意識し始めました。オリンピックに出たいと思い始めたのは高校1年の時です。他校の尊敬する先生が、当時開催されたシドニー五輪にコーチとして参加されていて。競技を観てとても感動して、自分もあそこに立って射ちたい、世界を目指して頑張りたいと思いました。

  • 私の場合は父が世界大会に出ていて、練習していたクラブにも五輪出場選手や当時の世界記録保持者がいました。その人たちの隣で練習していたので、高校の時はその人たちに追いつきたい一心でした。大学でも当時監督だった日比野さんはミュンヘン五輪の選手でしたし、世界大会を狙っている同期部員もいました。なので気負わなくても、周囲の人たちと普通に競っていれば、その延長に世界の舞台があると思っていました。

五輪代表に選出された当時の心境を教えてください。

  • 実は、モントリオール五輪は全く狙っていませんでした。大学2年の時だったので、むしろ次のモスクワに向けて頑張ろうと思っていて。仲間内で代表選考会に参加して、同期には負けたくないという気持ちで臨んだら1位になって、とてもびっくりしたのを覚えています。
  • 私は遡ると2004年のアテネ五輪の時から選考会には出場していて。その時は自分のベストを出しきれなかったのが原因で代表になれなかったので、次こそはと思いました。北京五輪の選考会があった2007年はちょうど就職をした年で、環境が大きく変わった中で思うような練習もできず、結局日本の個人枠は逃してしまいました。ここまでやってだめだったからもうアーチェリーは辞めようと思った矢先、アジア枠を取りにいくという話になって。急いで練習を再開して決まった代表だったので、とても慌しかったです。2012年のロンドン五輪の代表を逃した時は本当にアーチェリーを辞めようと思いましたが、周りの支えのお陰で続けることができました。再確認できたのは「自分はアーチェリーが好きなんだ」という気持ち。それまではオリンピックに出たいからアーチェリーを続けていたつもりでしたが、アーチェリーが好きだという気持ちがまずあって、その先にオリンピックがあるんだと今では思っています。なので今回のリオ五輪は代表に決まって嬉しかったですし、7年間支えてくれた両親をはじめ監督やコーチ、会社の皆さん、応援してくださる全ての人に感謝の気持ちでいっぱいでした。
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