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対談:読売ジャイアンツ 小林誠司、野球解説者 (元 東京ヤクルトスワローズ)宮本慎也

2013年、19年間の現役生活にピリオドを打った宮本慎也。同年、社会人野球2年目で念願のプロへの切符をつかんだ小林誠司。同志社大学硬式野球部という共通のルーツを持つ二人が、学生時代の自分と今の自分について語り合ったー

宮本慎也 1994年 商学部卒:1970年生まれ、大阪府出身。PL学園高校から同志社大学に進学し、プリンスホテルを経て1995年にヤクルトスワローズに入団。内野手として活躍し、2004年アテネ五輪、2008年の北京五輪では日本代表のキャプテンを務める。2012年、史上最年長でプロ通算2000本安打を達成。2013年引退。 小林誠司 2012年 商学部商学科卒:1989年生まれ、大阪府出身。広島・広陵高校では捕手として野村祐輔(広島カープ)とバッテリーを組み、3年夏の甲子園で準優勝。同志社では3年春から4季連続優勝を果たし、4年秋はMVPに輝いた。日本生命を経て、2013年にジャイアンツからドラフト1位指名を受けた。
  • なぜ、同志社だったのか。
  • 自分たちで考える野球とは。
  • 同じ年齢でのプロ入り。

Theme1:なぜ、同志社だったのか。

―今日が初対面だそうですが、お互いにどんな印象をお持ちでしたか?

宮本

男前やなーと思ってましたよ(笑)。いや真面目な話、僕は人を見る時に割と顔を重視するんです。小林くんは単なる顔のつくりだけではなく、きりっとした"いい顔"をしてるなと思っていました。

小林

僕はもう小さい頃からテレビでご活躍を拝見していて。日本代表でキャプテンを努められたり、プレーはもちろん人としても周囲から信頼されている方という印象が強かったですね。

―もともと野球を始めたきっかけは何ですか?

宮本

ジャイアンツファンだった父の影響です。特に長嶋さんの大ファンで。それで小学校3年の時に野球チームに入りました。

小林

父は水泳の元選手、母は同じく水泳のインストラクターだったので、物心がつく前から水泳をやっていました。でも小学2年の時にたまたま友人に誘われてソフトボールをやってから、野球が好きになって。小学6年の時には、両親に「水泳じゃなくて野球をやらせてほしい」と言った記憶があります。もともと野球自体には縁のない家だったんですよ。

宮本

そうだったんだ。

小林

はい。その後、中学3年の時に自分から広島の広陵高校に行きたいと言って進学しました。
特にオファーがあったわけでもなかったんですけど。

―宮本さんはPL学園、小林選手は広陵高校と高校はお二人とも強豪校ですが、同志社に進学された理由を教えてください。

宮本

東京の大学で野球をやりたいという気持ちもあって、実はかなり悩んでいました。そんな時、同志社に進学された片岡篤史さんをはじめとするPL学園の先輩方が、寮まで来て誘ってくださったんです。半分脅しでしたけど(笑)、そこまでしていただいた熱意に応えたくて即決しました。同志社で4年間頑張って、プロに行こうと。

小林

僕は、当時同志社大学硬式野球部の監督だった吉川監督に声をかけていただいて。広陵高校の恩師に「1年でレギュラーをとって、4年でキャプテンとしてチームを引っ張る選手になればもっと成長できるから頑張ってみろ」と背中を押していただいたのも決め手でしたね。もちろん卒業後のプロ入りも見据えていました。

―実際に入学されて、いかがでしたか?

宮本

PL学園時代は甲子園優勝やプロを目指すのが当たり前のハイレベルな選手ばかりだったんですが、同志社では一般入試で入ってくる人もいます。お世辞にもうまいと言えない選手がたった一打席立つため、なんとかベンチに入るために毎日一生懸命練習している姿を見て、僕の中で野球観が変わりました。プロを目指すだけが野球じゃない、こんな野球もあるんだと。極端に言えば、高校までは「俺が俺が」という選手たちに囲まれて、欲だけでやっていたんだと気づいたんです。地道な努力やチームメイトへの思いやりの大切さなど、技術以上のことを学ばせてもらったと思います。

小林

僕は入学時から勝ちたい、上を目指したいと闘志を燃やしていたんですが、残念ながら当時はそこまでの雰囲気がチームになくて。生意気ですけど1年の時からどうすれば士気が上がるか、チームが変わるかを必死に考えて、周りの部員と話し合いながら試行錯誤していきました。結果、自分も成長できたと思いますし、チームとしても少しは成長できたかなと思っています。

―その努力が関西学生野球春季・秋季リーグ戦4連覇につながったんですね。

小林

僕だけの力じゃないですけど。

宮本

すごいことだと思いますよ。同志社は名門と言われる割には、僕も1回しか優勝してませんし、ましてや連覇はさらに難しいから。

小林

宮本さんの時代と僕らの時代はまた違うと思うんです。関西で強豪と言われるのは近畿大、立命館大ですが、いざ試合をしてみると到底及ばないわけではなく、あと一息で勝てるという感触がありました。でも、宮本さんの時代は近畿大がかなり強かったですよね。

宮本

強かったですね。あと、当時は推薦入試制度がしっかり整っていなかった関係で、実力のある選手が来づらかった事情もありました。小林くんの時は部員が結構いたんですよね

小林

100人くらいでした。

宮本

僕が4年でキャプテンをやった時は27人だったから、人数が増えて選手層に厚みも増しただろうし。でも、多すぎてキャプテンとしては苦労したでしょう、目が届かなくて。僕の場合は、目が届きすぎて部員からすると大変だったと思いますけど(笑)。